《せきずい》が急にぐにゃりとする。ただ眼だけを見張って、たしかに動いておるか、おらぬかを確める。――確かに動いている。平常《ふだん》から動いているのだが気がつかずに今日《きょう》まで過したのか、または今夜に限って動くのかしらん。――もし今夜だけ動くのなら、ただごとではない。しかしあるいは腹工合《はらぐあい》のせいかも知れまい。今日会社の帰りに池《いけ》の端《はた》の西洋料理屋で海老《えび》のフライを食ったが、ことによるとあれが祟《たた》っているかもしれん。詰らん物を食って、銭《ぜに》をとられて馬鹿馬鹿しい廃《よ》せばよかった。何しろこんな時は気を落ちつけて寝るのが肝心《かんじん》だと堅く眼を閉じて見る。すると虹霓《にじ》を粉《こ》にして振り蒔《ま》くように、眼の前が五色の斑点でちらちらする。これは駄目だと眼を開《あ》くとまたランプの影が気になる。仕方がないからまた横向になって大病人のごとく、じっとして夜の明けるのを待とうと決心した。
 横を向いてふと目に入ったのは、襖《ふすま》の陰に婆さんが叮嚀《ていねい》に畳んで置いた秩父銘仙《ちちぶめいせん》の不断着である。この前四谷に行って露子の
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