だから門口《かどぐち》にも僕の名刺だけは張り付けて置いたがね。七円五十銭の家賃の主人なんざあ、主人にしたところが見事な主人じゃない。主人中の属官なるものだあね。主人になるなら勅任主人か少なくとも奏任主人にならなくっちゃ愉快はないさ。ただ下宿の時分より面倒が殖《ふ》えるばかりだ」と深くも考えずに浮気《うわき》の不平だけを発表して相手の気色《けしき》を窺《うかが》う。向うが少しでも同意したら、すぐ不平の後陣《ごじん》を繰《く》り出すつもりである。
「なるほど真理はその辺にあるかも知れん。下宿を続けている僕と、新たに一戸を構えた君とは自から立脚地が違うからな」と言語はすこぶるむずかしいがとにかく余の説に賛成だけはしてくれる。この模様ならもう少し不平を陳列しても差《さ》し支《つかえ》はない。
「まずうちへ帰ると婆さんが横《よこ》綴《と》じの帳面を持って僕の前へ出てくる。今日《こんにち》は御味噌を三銭、大根を二本、鶉豆《うずらまめ》を一銭五厘買いましたと精密なる報告をするんだね。厄介きわまるのさ」
「厄介きわまるなら廃《よ》せばいいじゃないか」と津田君は下宿人だけあって無雑作《むぞうさ》な事を言
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