《きぜん》として常に二三番を下《くだ》らなかったところをもって見ると、頭脳は余よりも三十五六枚|方《がた》明晰《めいせき》に相違ない。その津田君が躍起《やっき》になるまで弁護するのだから満更《まんざら》の出鱈目《でたらめ》ではあるまい。余は法学士である、刻下の事件をありのままに見て常識で捌《さば》いて行くよりほかに思慮を廻《めぐ》らすのは能《あた》わざるよりもむしろ好まざるところである。幽霊だ、祟《たたり》だ、因縁《いんねん》だなどと雲を攫《つか》むような事を考えるのは一番|嫌《きらい》である。が津田君の頭脳には少々恐れ入っている。その恐れ入ってる先生が真面目に幽霊談をするとなると、余もこの問題に対する態度を義理にも改めたくなる。実を云うと幽霊と雲助《くもすけ》は維新《いしん》以来永久廃業した者とのみ信じていたのである。しかるに先刻《さっき》から津田君の容子《ようす》を見ると、何だかこの幽霊なる者が余の知らぬ間《ま》に再興されたようにもある。先刻《さっき》机の上にある書物は何かと尋ねた時にも幽霊の書物だとか答えたと記憶する。とにかく損はない事だ。忙がしい余に取ってはこんな機会はまたとあ
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