紙の届かない先に細君がちゃんと亭主の所へ行っているんだ」
「行ってるとは?」
「逢《あ》いに行ってるんだ」
「どうして?」
「どうしてって、逢いに行ったのさ」
「逢いに行くにも何にも当人死んでるんじゃないか」
「死んで逢いに行ったのさ」
「馬鹿あ云ってら、いくら亭主が恋しいったって、そんな芸が誰に出来るもんか。まるで林屋正三の怪談だ」
「いや実際行ったんだから、しようがない」と津田君は教育ある人にも似合ず、頑固《がんこ》に愚《ぐ》な事を主張する。
「しようがないって――何だか見て来たような事を云うぜ。おかしいな、君本当にそんな事を話してるのかい」
「無論本当さ」
「こりゃ驚いた。まるで僕のうちの婆さんのようだ」
「婆さんでも爺さんでも事実だから仕方がない」と津田君はいよいよ躍起《やっき》になる。どうも余にからかっているようにも見えない。はてな真面目《まじめ》で云っているとすれば何か曰《いわ》くのある事だろう。津田君と余は大学へ入ってから科は違うたが、高等学校では同じ組にいた事もある。その時余は大概四十何人の席末を汚すのが例であったのに、先生は※[#「山/歸」、第3水準1−47−93]然
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