「ふん、女か? そりゃ気の毒だなあ。軍人だね」
「うん所天は陸軍中尉さ。結婚してまだ一年にならんのさ。僕は通夜《つや》にも行き葬式の供にも立ったが――その夫人の御母《おっか》さんが泣いてね――」
「泣くだろう、誰だって泣かあ」
「ちょうど葬式の当日は雪がちらちら降って寒い日だったが、御経が済んでいよいよ棺を埋《う》める段になると、御母さんが穴の傍《そば》へしゃがんだぎり動かない。雪が飛んで頭の上が斑《まだら》になるから、僕が蝙蝠傘《こうもり》をさし懸《か》けてやった」
「それは感心だ、君にも似合わない優しい事をしたものだ」
「だって気の毒で見ていられないもの」
「そうだろう」と余はまた法眼元信《ほうげんもとのぶ》の馬を見る。自分ながらこの時は相手の寒い顔が伝染しているに相違ないと思った。咄嗟《とっさ》の間に死んだ女の所天の事が聞いて見たくなる。
「それでその所天の方は無事なのかね」
「所天《おっと》は黒木軍についているんだが、この方はまあ幸《さいわい》に怪我もしないようだ」
「細君が死んだと云う報知を受取ったらさぞ驚いたろう」
「いや、それについて不思議な話があるんだがね、日本から手
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