に威嚇《おど》かされて、無言のまま津田君の顔を見詰める。
「よく注意したまえ」と二句目は低い声で云った。初めの大きな声に反してこの低い声が耳の底をつき抜けて頭の中へしんと浸《し》み込んだような気持がする。なぜだか分らない。細い針は根まで這入《はい》る、低くても透《とお》る声は骨に答えるのであろう。碧瑠璃《へきるり》の大空に瞳《ひとみ》ほどな黒き点をはたと打たれたような心持ちである。消えて失《う》せるか、溶けて流れるか、武庫山《むこやま》卸《おろ》しにならぬとも限らぬ。この瞳ほどな点の運命はこれから津田君の説明で決せられるのである。余は覚えず相馬焼の茶碗を取り上げて冷たき茶を一時《いちじ》にぐっと飲み干した。
「注意せんといかんよ」と津田君は再び同じ事を同じ調子で繰り返す。瞳ほどな点が一段の黒味を増す。しかし流れるとも広がるとも片づかぬ。
「縁喜《えんぎ》でもない、いやに人を驚かせるぜ。ワハハハハハ」と無理に大きな声で笑って見せたが、腑《ふ》の抜けた勢のない声が無意味に響くので、我ながら気がついて中途でぴたりとやめた。やめると同時にこの笑がいよいよ不自然に聞かれたのでやはりしまいまで笑い
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