ぜつ》するという議論があり、またこれを論じた大家もあったのでありますけれども、これは大《おおい》なる間違で、なるほど道徳と文芸は接触しない点もあるけれども、大部分は相連《あいつらな》っている。ただ僅かに倫理と芸術と両立せないで、どちらかを捨てねばならぬ場合がないではありません。例えば私がこの机を推している、何時《いつ》しかこの机と共に落ちたとします。この落ちたという事実に対して、諸君は必ず笑われるに違いない。しかし倫理的に申したならば、人が落ちたというに笑うはずがない、気の毒だという同情があって然《しか》るべきである、殊に私のような招かれて来た者に対する礼儀としても笑うのは倫理的でない事は明《あきらか》である。けれども笑うという事と、気の毒だと思う事と、どちらか捨てねばならぬ場合に、滑稽趣味の上にこれを観賞するは、一種の芸術的の見方であります。けれども私が、脳振盪《のうしんとう》を起して倒れたとすれば、諸君の笑《わらい》は必ず倫理的の同情に変ずるに違いありますまい。こういう風に或程度まで芸術と倫理と相離るる部分はあるけれども、最後または根柢には倫理的認容がなければならぬのであります。従
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