時に思いきって這入《はい》ろうかイヤ這入るまいかと暫く躊躇《ちゅうちょ》した、なるべくならお留守であればよい、更に逢わぬといってくれれば可《よ》いと思ったというような露骨な事が書いてある。昔私らの書生の頃には、人を訪問していなければ可いがと思うてもそういう事をその人の前に告白するような正直な実際的な事はしなかったものである。痩我慢をして実は堂々たるものの如く装《よそお》って人の前にもこれを吹聴《ふいちょう》したのである。感激的教育概念に囚《とらわ》れたる薫化《くんか》がこういう不正直な痩我慢的な人間を作り出したのである。
さて一方文学を攷察《こうさつ》して見まするにこれを大別《たいべつ》してローマンチシズム、ナチュラリズムの二種類とすることが出来る、前者は適当の訳字がないために私が作って浪漫主義として置きましたが、後者のナチュラリズムは自然派と称しております。この両者を前に申述べた教育と対照いたしますと、ローマンチシズムと、昔の徳育即ち概念に囚れたる教育と、特徴を同《おなじゅ》うし、ナチュラリズムと現今の事実を主とする教育と、相|通《かよ》うのであります。以前文芸は道徳を超絶《ちょう
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