偽《いつわり》の点がありました。今の人は正直で自分を偽らずに現わす、こういう風で寛容的精神が発達して来た。しこうして社会もまたこれを容《い》れて来たのであります。昔は一遍《いっぺん》社会から葬《ほうむ》られた者は、容易に恢復する事が出来なかったが、今日では人の噂も七十五日という如く寛大となったのであります。社会の制裁が弛《ゆる》んだというかも知れませんが一方からいいましたならば、事実にそういう欠点のあり得る事を二元的に認めて、これに寛容的の態度を示したのであります。畢竟《ひっきょう》無理がなくなり、概念の束縛がなくなり、事実が現われたのであります。昔スパルタの教育に、狐を隠してその狐が自分の腸《はらわた》をえぐり出しても、なお黙っていたということがあるが、今はそういう痩我慢《やせがまん》はなくなったのである。現今の教育の結果は自分の特点をも露骨に正直に人の前に現わす事を非常なる恥辱《ちじょく》とはしないのであります。これは事実という第一の物が一元的でないという事を予《あらかじ》め許すからである。私の家へよく若い者が訪ねて参りますがその学生が帰って手紙を寄こす。その中にあなたの家を訪ねた
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