きました。
 四十余年間の歴史を見ると、昔は理想から出立《しゅったつ》した教育が、今は事実から出発する教育に変化しつつあるのであります、事実から出発する方は、理想はあるけれども実行は出来ぬ、概念的の精神に依って人は成立する者でない、人間は表裏《ひょうり》のあるものであるとして、社会も己《おのれ》も教育するのであります。昔は公《こう》でも私《し》でも何でも皆孝で押し通したものであるが今は一面に孝があれば他面に不孝があるものとしてやって行く。即ち昔は一元的、今は二元的である、すべて孝で貫き忠で貫く事はできぬ。これは想像の結果である。昔の感激主義に対して今の教育はそれを失わする教育である、西洋では迷《まよい》より覚めるという、日本では意味が違うが、まあディスイリュージョン、さめる、というのであります。なぜ昔はそんな風であったか。話は余談に入るが、独逸《ドイツ》の哲学者が概念を作って定義を作ったのであります。しかし巡査の概念として白い服を着てサーベルをさしているときめると一面には巡査が和服で兵児帯《へこおび》のこともあるから概念できめてしまうと窮屈になる。定義できめてしまっては世の中の事がわか
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