もあまり飛び出さないと大家《たいか》と見られるであろう。
さて当時は理想を目前に置き、自分の理想を実現しようと一種の感激を前に置いてやるから、一種の感激教育となりまして、知の方は主でなく、インスピレーションともいうような情緒《じょうしょ》の教育でありました。なんでも出来ると思う、精神一到《せいしんいっとう》何事《なにごとか》不成《ならざらん》というような事を、事実と思っている。意気天を衝《つ》く。怒髪《どはつ》天をつく。炳《へい》として日月《じつげつ》云々《うんぬん》という如き、こういう詞《ことば》を古人は盛《さかん》に用いた。感激的というのはこんな有様《ありさま》で情緒的教育でありましたから一般の人の生活状態も、エモーショナルで努力主義でありました。そういう教育を受ける者は、前のような有様でありますが社会は如何《どう》かというと、非常に厳格で少しのあやまちも許さぬというようになり、少しく申訳がなければ坊主《ぼうず》となり切腹するという感激主義であった、即ち社会の本能からそういうことになったもので、大体よりこれが日本の主眼とする所でありました、それが明治になって非常に異《ことな》って
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