《ほしい》ままに酔《え》わしめたるは、制服の釦《ボタン》の真鍮《しんちゅう》と知りつつも、黄金《こがね》と強《し》いたる時代である。真鍮は真鍮と悟ったとき、われらは制服を捨てて赤裸《まるはだか》のまま世の中へ飛び出した。子規は血を嘔《は》いて新聞屋となる、余は尻を端折《はしょ》って西国《さいこく》へ出奔《しゅっぽん》する。御互の世は御互に物騒《ぶっそう》になった。物騒の極《きょく》子規はとうとう骨になった。その骨も今は腐れつつある。子規の骨が腐れつつある今日《こんにち》に至って、よもや、漱石が教師をやめて新聞屋になろうとは思わなかったろう。漱石が教師をやめて、寒い京都へ遊びに来たと聞いたら、円山《まるやま》へ登った時を思い出しはせぬかと云うだろう。新聞屋になって、糺《ただす》の森《もり》の奥に、哲学者と、禅居士《ぜんこじ》と、若い坊主頭と、古い坊主頭と、いっしょに、ひっそり閑《かん》と暮しておると聞いたら、それはと驚くだろう。やっぱり気取っているんだと冷笑するかも知れぬ。子規は冷笑が好きな男であった。
 若い坊さんが「御湯に御這入《おはい》り」と云う。主人と居士は余が顫《ふる》えている
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