頭の上に見上げる空は、枝のために遮《さえぎ》られて、手の平《ひら》ほどの奥に料峭《りょうしょう》たる星の影がきらりと光を放った時、余は車を降りながら、元来どこへ寝るのだろうと考えた。
「これが加茂《かも》の森《もり》だ」と主人が云う。「加茂の森がわれわれの庭だ」と居士《こじ》が云う。大樹《たいじゅ》を繞《め》ぐって、逆《ぎゃく》に戻ると玄関に灯《ひ》が見える。なるほど家があるなと気がついた。
 玄関に待つ野明《のあき》さんは坊主頭《ぼうずあたま》である。台所から首を出した爺さんも坊主頭である。主人は哲学者である。居士は洪川和尚《こうせんおしょう》の会下《えか》である。そうして家は森の中にある。後《うしろ》は竹藪《たけやぶ》である。顫えながら飛び込んだ客は寒がりである。
 子規と来て、ぜんざいと京都を同じものと思ったのはもう十五六年の昔になる。夏の夜《よ》の月|円《まる》きに乗じて、清水《きよみず》の堂を徘徊《はいかい》して、明《あきら》かならぬ夜《よる》の色をゆかしきもののように、遠く眼《まなこ》を微茫《びぼう》の底に放って、幾点の紅灯《こうとう》に夢のごとく柔《やわら》かなる空想を縦
前へ 次へ
全11ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング