や》とか云う家へ着いて、子規と共に京都の夜《よる》を見物に出たとき、始めて余の目に映ったのは、この赤いぜんざいの大提灯である。この大提灯を見て、余は何故《なにゆえ》かこれが京都だなと感じたぎり、明治四十年の今日《こんにち》に至るまでけっして動かない。ぜんざいは京都で、京都はぜんざいであるとは余が当時に受けた第一印象でまた最後の印象である。子規は死んだ。余はいまだに、ぜんざいを食った事がない。実はぜんざいの何物たるかをさえ弁《わきま》えぬ。汁粉《しるこ》であるか煮小豆《ゆであずき》であるか眼前《がんぜん》に髣髴《ほうふつ》する材料もないのに、あの赤い下品な肉太《にくぶと》な字を見ると、京都を稲妻《いなずま》の迅《すみや》かなる閃《ひらめ》きのうちに思い出す。同時に――ああ子規は死んでしまった。糸瓜《へちま》のごとく干枯《ひから》びて死んでしまった。――提灯はいまだに暗い軒下にぶらぶらしている。余は寒い首を縮《ちぢ》めて京都を南から北へ抜ける。
 車はかんかららんに桓武天皇の亡魂を驚《おどろ》かし奉《たてまつ》って、しきりに馳《か》ける。前なる居士《こじ》は黙って乗っている。後《うしろ》な
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