。なるほどそれが僕の素人《しろうと》であるところかも知れないと答えたようなものの、私は二宮君にこんな事を反問しました。僕は芝居は分らないが小説は君よりも分っている。その僕が小説を読んで、第一に感ずるのは大体の筋すなわち構造である。筋なんかどうでも、局部に面白い所があれば構わないと云う気にはとてもなれない。したがって僕がいかほど芝居通になったところで、全然君と同じ観察点に立って、芝居を見得るかどうだか疑問であるが、その辺はどうだろう。――話は要領を得ずにすんでしまったが、私にはやッぱり構造、譬《たと》えば波瀾《はらん》、衝突から起る因果《いんが》とか、この因果と、あの因果の関係とか云うものが第一番に眼につくんです。ところがそれがあんまり善《よ》くできていないじゃありませんか。あるものは私の理性を愚弄《ぐろう》するために作ったと思われますね。太功記《たいこうき》などは全くそうだ。あるものは平板のべつ、のっぺらぽうでしょう。楠なんとかいうのは、誰が見たってのっぺらぽうに違ない。あるものに至っては、私の人情を傷《きずつ》けようと思って故意に残酷に拵《こしら》えさしたと思われるくらいです。きられ
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