虚子君へ
夏目漱石

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)生涯《しょうがい》に

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)この上|相撲《すもう》へ
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 昨日は失敬。こう続けざまに芝居を見るのは私の生涯《しょうがい》において未曾有《みぞう》の珍象ですが、私が、私に固有な因循《いんじゅん》極まる在来の軌道をぐれ出して、ちょっとでも陽気な御交際《おつきあい》をするのは全くあなたのせいですよ。それにも飽《あ》き足らず、この上|相撲《すもう》へ連れて行って、それから招魂社の能へ誘うと云うんだから、あなたは偉い。実際善人か悪人か分らない。
 私は妙な性質《たち》で、寄席《よせ》興行その他娯楽を目的とする場所へ行って坐《すわ》っていると、その間に一種荒涼な感じが起るんです。左右前後の綺羅《きら》が頭の中へ反映して、心理学にいわゆる反照聯想《はんしょうれんそう》を起すためかとも思いますが、全くそうでもないらしいです。あんな場所で周囲の人の顔や様子を見ていると、みんな浮いて見えます。男でも女でもさも得意です。その時ふとこの顔とこの様子から、自分の住む現在の社会が
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