する勇気は無論ないです。年来の生活状態からして、私は始終《しじゅう》山の手の竹藪《たけやぶ》の中へ招かれている。のみならず、この竹藪や書物のなかに、まるで趣の違った巣を食って生きて来たのです。その方が私の性《しょう》に合う。それから直接に官能に訴える人巧的な刺激を除くと、この巣の方が遥《はる》かに意義があるように思われるんだから、四辺の空気に快よく耽溺《たんでき》する事ができないで迷っちまいます。こんな中腰《ちゅうごし》の態度で、芝居を見物する原因は複雑のようですが、その五割|乃至《ないし》七割は舞台で演ずる劇そのものに帰着するのかも知れません。あの劇がね、私の巣の中の世界とはまるで別物で、しかもあまり上等でないからだろうと思うんです。こう云うと、役者や見物を一概に罵倒するようでわるいから、ちょっと説明します。
 この間帝国座の二宮君が来て、あなたの明治座の所感と云うものを読んだが、我々の神経は痲痺《まひ》しているせいだか何だかあなたの口にするような非難はとうてい持ち出す余地がない、芝居になれたものの眼から見ると、筋なぞはどんなに無理だって、妙だって、まるで忘れて見ていますと云いました
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