は五十くらいだから、ずいぶん久しい間世の中を見て暮したはずだが、やっぱりまだ驚いている。戸を敲《たた》くのが気の毒なくらい大きな眼をしていらっしゃいと云う。
這入《はい》ると女はすぐ消えてしまう。そうして取附《とっつき》の客間――始めは客間とも思わなかった。別段装飾も何もない。窓が二つあって、書物がたくさん並んでいるだけである。クレイグ先生はたいていそこに陣取っている。自分の這入《はい》って来るのを見ると、やあと云って手を出す。握手をしろという相図だから、手を握る事は握るが、向《むこう》ではかつて握り返した事がない。こっちもあまり握り心地が好い訳でもないから、いっそ廃《よ》したらよかろうと思うのに、やっぱりやあと云って毛だらけな皺《しわ》だらけな、そうして例によって消極的な手を出す。習慣は不思議なものである。
この手の所有者は自分の質問を受けてくれる先生である。始めて逢《あ》った時報酬はと聞いたら、そうさな、とちょっと窓の外を見て、一回七|志《シルリング》じゃどうだろう。多過ぎればもっと負けても好いと云われた。それで自分は一回七志の割で月末に全額を払う事にしていたが、時によると不意に先生から催促を受ける事があった。君、少し金が入《い》るから払って行ってくれんかなどと云われる。自分は洋袴《ズボン》の隠《かく》しから金貨を出して、むき出しにへえと云って渡すと、先生はやあすまんと受取りながら、例の消極的な手を拡《ひろ》げて、ちょっと掌《てのひら》の上で眺めたまま、やがてこれを洋袴の隠しへ収められる。困る事には先生けっして釣を渡さない。余分を来月へ繰《く》り越《こ》そうとすると、次の週にまた、ちょっと書物を買いたいからなどと催促される事がある。
先生は愛蘭土《アイヤランド》の人で言葉がすこぶる分らない。少し焦《せ》きこんで来ると、東京者が薩摩《さつま》人と喧嘩《けんか》をした時くらいにむずかしくなる。それで大変そそっかしい非常な焦きこみ屋なんだから、自分は事が面倒になると、運を天に任せて先生の顔だけ見ていた。
その顔がまたけっして尋常じゃない。西洋人だから鼻は高いけれども、段があって、肉が厚過ぎる。そこは自分に善《よ》く似ているのだが、こんな鼻は一見したところがすっきりした好い感じは起らないものである。その代りそこいら中《じゅう》むしゃくしゃしていて、何となく野趣がある。髯《ひげ》などはまことに御気の毒なくらい黒白乱生《こくびゃくらんせい》していた。いつかベーカーストリートで先生に出合った時には、鞭《むち》を忘れた御者《カブマン》かと思った。
先生の白襯衣《しろシャツ》や白襟《しろえり》を着けたのはいまだかつて見た事がない。いつでも縞《しま》のフラネルをきて、むくむくした上靴《うわぐつ》を足に穿《は》いて、その足を煖炉《ストーブ》の中へ突き込むくらいに出して、そうして時々短い膝を敲《たた》いて――その時始めて気がついたのだが、先生は消極的の手に金の指輪を嵌《は》めていた。――時には敲《たた》く代りに股《もも》を擦《こす》って、教えてくれる。もっとも何を教えてくれるのか分らない。聞いていると、先生の好きな所へ連れて行って、けっして帰してくれない。そうしてその好きな所が、時候の変り目や、天気都合でいろいろに変化する。時によると昨日《きのう》と今日《きょう》で両極へ引越しをする事さえある。わるく云えば、まあ出鱈目《でたらめ》で、よく評すると文学上の座談をしてくれるのだが、今になって考えて見ると、一回七志ぐらいで纏《まとま》った規則正しい講義などのできる訳のものではないのだから、これは先生の方がもっともなので、それを不平に考えた自分は馬鹿なのである。もっとも先生の頭も、その髯《ひげ》の代表するごとく、少しは乱雑に傾《かたむ》いていたようでもあるから、むしろ報酬の値上をして、えらい講義をして貰わない方がよかったかも知れない。
先生の得意なのは詩であった。詩を読むときには顔から肩の辺《あたり》が陽炎《かげろう》のように振動する。――嘘《うそ》じゃない。全く振動した。その代り自分に読んでくれるのではなくって、自分が一人で読んで楽んでいる事に帰着してしまうからつまりはこっちの損になる。いつかスウィンバーンのロザモンドとか云うものを持って行ったら、先生ちょっと見せたまえと云って、二三行朗読したが、たちまち書物を膝《ひざ》の上に伏せて、鼻眼鏡《はなめがね》をわざわざはずして、ああ駄目駄目スウィンバーンも、こんな詩を書くように老い込んだかなあと云って嘆息された。自分がスウィンバーンの傑作アタランタを読んでみようと思い出したのはこの時である。
先生は自分を小供のように考えていた。君こう云う事を知ってるか、ああ云う事が分ってるかなどと愚《ぐ》にもつかない事をたびたび質問された。かと思うと、突然えらい問題を提出して急に同輩扱《どうはいあつかい》に飛び移る事がある。いつか自分の前でワトソンの詩を読んで、これはシェレーに似た所があると云う人と、全く違っていると云う人とあるが、君はどう思うと聞かれた。どう思うたって、自分には西洋の詩が、まず眼に訴えて、しかる後《のち》耳を通過しなければまるで分らないのである。そこで好い加減な挨拶《あいさつ》をした。シェレーに似ている方だったか、似ていない方だったか、今では忘れてしまった。がおかしい事に、先生はその時例の膝を叩《たた》いて僕もそう思うと云われたので、大いに恐縮した。
ある時窓から首を出して、遥《はる》かの下界を忙《いそが》しそうに通る人を見下《みおろ》しながら、君あんなに人間が通るが、あの内で詩の分るものは百人に一人もいない、可愛相《かわいそう》なものだ。いったい英吉利人《イギリスじん》は詩を解する事のできない国民でね。そこへ行くと愛蘭土人《アイヤランドじん》はえらいものだ。はるかに高尚だ。――実際詩を味《あじわ》う事のできる君だの僕だのは幸福と云わなければならない。と云われた。自分を詩の分る方の仲間へ入れてくれたのははなはだありがたいが、その割合には取扱がすこぶる冷淡である。自分はこの先生においていまだ情合《じょうあい》というものを認めた事がない。全く器械的にしゃべってる御爺《おじい》さんとしか思われなかった。
けれどもこんな事があった。自分のいる下宿がはなはだ厭《いや》になったから、この先生の所へでも置いて貰おうかしらと思って、ある日例の稽古《けいこ》を済ましたあと、頼んで見ると、先生たちまち膝《ひざ》を敲《たた》いて、なるほど、僕のうちの部屋を見せるから、来たまえと云って、食堂から、下女部屋から、勝手から、一応すっかり引っ張り回して見せてくれた。固《もと》より四階裏の一隅《ひとすみ》だから広いはずはない。二三分かかると、見る所はなくなってしまった。先生はそこで、元の席へ帰って、君こういう家《うち》なんだから、どこへも置いて上げる訳には行かないよと断るかと思うと、たちまちワルト・ホイットマンの話を始めた。昔ホイットマンが来て自分の家へしばらく逗留《とうりゅう》していた事がある――非常に早口だから、よく分らなかったが、どうもホイットマンの方が来たらしい――で、始めあの人の詩を読んだ時はまるで物にならないような心持がしたが、何遍も読み過《すご》しているうちにだんだん面白くなって、しまいには非常に愛読するようになった。だから……
書生に置いて貰う件は、まるでどこかへ飛んで行ってしまった。自分はただ成行《なりゆき》に任せてへえへえと云って聞いていた。何でもその時はシェレーが誰とかと喧嘩《けんか》をしたとか云う事を話して、喧嘩はよくない、僕は両方共好きなんだから、僕の好きな二人が喧嘩をするのははなはだよくないと故障を申し立てておられた。いくら故障を申し立てても、もう何十年か前に喧嘩をしてしまったのだから仕方がない。
先生はそそっかしいから、自分の本などをよく置き違える。そうしてそれが見当《みあた》らないと、大いに焦《せ》きこんで、台所にいる婆さんを、ぼやでも起ったように、仰山《ぎょうさん》な声をして呼び立てる。すると例の婆さんが、これも仰山な顔をして客間へあらわれて来る。
「お、おれの『ウォーズウォース』はどこへやった」
婆さんは依然として驚いた眼を皿のようにして一応|書棚《しょだな》を見廻しているが、いくら驚いてもはなはだたしかなもので、すぐに、「ウォーズウォース」を見つけ出す。そうして、「ヒヤ、サー」と云って、いささかたしなめるように先生の前に突きつける。先生はそれを引ったくるように受け取って、二本の指で汚《きた》ない表紙をぴしゃぴしゃ敲《たた》きながら、君、ウォーズウォースが……とやり出す。婆さんは、ますます驚いた眼をして台所へ退《さが》って行く。先生は二分も三分も「ウォーズウォース」を敲いている。そうしてせっかく捜《さが》して貰った「ウォーズウォース」をついに開けずにしまう。
先生は時々手紙を寄こす。その字がけっして読めない。もっとも二三行だから、何遍でも繰返《くりかえ》して見る時間はあるが、どうしたって判定はできない。先生から手紙がくれば差支《さしつかえ》があって稽古《けいこ》ができないと云うことと断定して始めから読む手数《てすう》を省《はぶ》くようにした。たまに驚いた婆さんが代筆をする事がある。その時ははなはだよく分る。先生は便利な書記を抱《かか》えたものである。先生は、自分に、どうも字が下手で困ると嘆息していられた。そうして君の方がよほど上手だと云われた。
こう云う字で原稿を書いたら、どんなものができるか心配でならない。先生はアーデン・シェクスピヤの出版者である。よくあの字が活版に変形する資格があると思う。先生は、それでも平気に序文をかいたり、ノートをつけたりして済《すま》している。のみならず、この序文を見ろと云ってハムレットへつけた緒言《しょげん》を読まされた事がある。その次行って面白かったと云うと、君日本へ帰ったら是非この本を紹介してくれと依頼された。アーデン・シェクスピヤのハムレットは自分が帰朝後大学で講義をする時に非常な利益を受けた書物である。あのハムレットのノートほど周到にして要領を得たものはおそらくあるまいと思う。しかしその時はさほどにも感じなかった。しかし先生のシェクスピヤ研究にはその前から驚かされていた。
客間を鍵《かぎ》の手《て》に曲ると六畳ほどな小さな書斎がある。先生が高く巣をくっているのは、実を云うと、この四階の角で、その角のまた角に先生にとっては大切な宝物がある。――長さ一尺五寸幅一尺ほどな青表紙の手帳を約十冊ばかり併《なら》べて、先生はまがな隙《すき》がな、紙片《かみぎれ》に書いた文句をこの青表紙の中へ書き込んでは、吝坊《けちんぼう》が穴の開《あ》いた銭《ぜに》を蓄《ため》るように、ぽつりぽつりと殖《ふ》やして行くのを一生の楽みにしている。この青表紙が沙翁字典《さおうじてん》の原稿であると云う事は、ここへ来出《きだ》してしばらく立つとすぐに知った。先生はこの字典を大成するために、ウェールスのさる大学の文学の椅子を抛《なげう》って、毎日ブリチッシ・ミュージアムへ通う暇をこしらえたのだそうである。大学の椅子さえ抛つくらいだから、七|志《シルリング》の御弟子を疎末《そまつ》にするのは無理もない。先生の頭のなかにはこの字典が終日終夜|槃桓磅※[#「石+薄」、第3水準1−89−18]《ばんかんほうはく》しているのみである。
先生、シュミッドの沙翁字彙《さおうじい》がある上にまだそんなものを作るんですかと聞いた事がある。すると先生はさも軽蔑《けいべつ》を禁じ得ざるような様子でこれを見たまえと云いながら、自己所有のシュミッドを出して見せた。見ると、さすがのシュミッドが前後二巻一頁として完膚《かんぷ》なきまで真黒になっている。自分はへえと云ったなり驚いてシュミッドを眺めていた。先生はすこぶる得意である。君、もしシュミッドと同程度のものを拵《こしら》えるく
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