らいなら僕は何もこんなに骨を折りはしないさと云って、また二本の指を揃《そろ》えて真黒なシュミッドをぴしゃぴしゃ敲《たた》き始めた。
「全体いつ頃《ごろ》から、こんな事を御始めになったんですか」
先生は立って向うの書棚《しょだな》へ行って、しきりに何か捜《さが》し出したが、また例の通り焦《じ》れったそうな声でジェーン、ジェーン、おれのダウデンはどうしたと、婆さんが出て来ないうちから、ダウデンの所在《ありか》を尋ねている。婆さんはまた驚いて出て来る。そうしてまた例のごとくヒヤ、サーと窘《たしな》めて帰って行くと、先生は婆さんの一拶《いっさつ》にはまるで頓着《とんじゃく》なく、餓《ひも》じそうに本を開けて、うんここにある。ダウデンがちゃんと僕の名をここへ挙《あ》げてくれている。特別に沙翁《さおう》を研究するクレイグ氏と書いてくれている。この本が千八百七十……年の出版で僕の研究はそれよりずっと前なんだから……自分は全く先生の辛抱に恐れ入った。ついでに、じゃいつ出来上るんですかと尋ねて見た。いつだか分るものか、死ぬまでやるだけの事さと先生はダウデンを元の所へ入れた。
自分はその後《ご》しばらくして先生の所へ行かなくなった。行かなくなる少し前に、先生は日本の大学に西洋人の教授は要《い》らんかね。僕も若いと行くがなと云って、何となく無常を感じたような顔をしていられた。先生の顔にセンチメントの出たのはこの時だけである。自分はまだ若いじゃありませんかといって慰めたら、いやいやいつどんな事があるかも知れない。もう五十六だからと云って、妙に沈んでしまった。
日本へ帰って二年ほどしたら、新着の文芸雑誌にクレイグ氏が死んだと云う記事が出た。沙翁《さおう》の専門学者であると云うことが、二三行書き加えてあっただけである。自分はその時雑誌を下へ置いて、あの字引はついに完成されずに、反故《ほご》になってしまったのかと考えた。
底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房
1988(昭和63)年7月26日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房
1971(昭和46)年4月〜1972(昭和47)年1月
入力:柴田卓治
校正:大野晋
1999年6月14日公開
2004年2月26日修正
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