いるように思われる。身には井の字の模様のある筒袖《つつそで》に、藤鼠《ふじねずみ》の天鵞絨《びろうど》の房の下《さが》ったものを、背から腰の下まで三角に垂れて、赤い足袋《たび》を踏んでいた。手に持った朝鮮の団扇《うちわ》が身体《からだ》の半分ほどある。団扇には赤と青と黄で巴《ともえ》を漆《うるし》で描《か》いた。
行列は静かに自分の前を過ぎた。開け放しになった戸が、空《むな》しい日の光を、書斎の入口に送って、縁側《えんがわ》に幅四尺の寂《さび》しさを感じた時、向うの隅《すみ》で急にヴァイオリンを擦《こす》る音がした。ついで、小さい咽喉《のど》が寄り合って、どっと笑う声がした。
宅《うち》の小供は毎日母の羽織や風呂敷を出して、こんな遊戯《いたずら》をしている。
昔
ピトロクリの谷は秋の真下《ました》にある。十月の日が、眼に入る野と林を暖かい色に染めた中に、人は寝たり起きたりしている。十月の日は静かな谷の空気を空の半途《はんと》で包《くる》んで、じかには地にも落ちて来ぬ。と云って、山向《やまむこう》へ逃げても行かぬ。風のない村の上に、いつでも落ちついて、じっと動かずに靄
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