さんは河の真中に腰を据《す》えて、貴王の森を正面に、川上に向って、肩に担《かつ》いだ網をおろした。
 二人は雨の音の中にじっとして、まともに押して来る渦の恰好《かっこう》を眺めていた。魚がこの渦の下を、貴王の池から流されて通るに違いない。うまくかかれば大きなのが獲れると、一心に凄《すご》い水の色を見つめていた。水は固《もと》より濁っている。上皮《うわかわ》の動く具合だけで、どんなものが、水の底を流れるか全く分りかねる。それでも瞬《まばたき》もせずに、水際《みずぎわ》まで浸った叔父さんの手首の動くのを待っていた。けれどもそれがなかなかに動かない。
 雨脚《あまあし》はしだいに黒くなる。河の色はだんだん重くなる。渦の紋《もん》は劇《はげ》しく水上《みなかみ》から回《めぐ》って来る。この時どす黒い波が鋭く眼の前を通り過そうとする中に、ちらりと色の変った模様《もよう》が見えた。瞬《まばたき》を容《ゆる》さぬとっさの光を受けたその模様には長さの感じがあった。これは大きな鰻《うなぎ》だなと思った。
 途端《とたん》に流れに逆《さか》らって、網の柄《え》を握っていた叔父さんの右の手首が、蓑の下から肩
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