の上へ掛けた。その時細君は、この女は何をするか分らない人相だ。見ていると変な心持になるから、掛けるのは廃《よ》すが好いと云ってしきりに止《と》めたけれども、井深はなあに御前の神経だと云って聞かなかった。
 細君は茶の間へ下《さが》る。井深は机に向って調べものを始めた。十分ばかりすると、ふと首を上げて、額の中が見たくなった。筆を休めて、眼を転ずると、黄色い女が、額の中で薄笑いをしている。井深はじっとその口元を見つめた。全く画工《えかき》の光線のつけ方である。薄い唇《くちびる》が両方の端《はじ》で少し反《そ》り返《かえ》って、その反り返った所にちょっと凹《くぼみ》を見せている。結んだ口をこれから開けようとするようにも取れる。または開《あ》いた口をわざと、閉《と》じたようにも取れる。ただしなぜだか分らない。井深は変な心持がしたが、また机に向った。
 調べものとは云《い》い条《じょう》、半分は写しものである。大して注意を払う必要もないので、少し経《た》ったら、また首を挙《あ》げて画の方を見た。やはり口元に何か曰《いわ》くがある。けれども非常に落ちついている。切れ長の一重瞼《ひとえまぶち》の中か
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