具屋にあって然《しか》るべき調子である。井深はきっと安いものだと鑑定した。聞いて見ると一円と云うのに、少し首を捻《ひね》ったが、硝子《ガラス》も割れていないし、額縁《がくぶち》もたしかだから、爺さんに談判して、八十銭までに負けさせた。
 井深がこの半身の画像を抱《いだ》いて、家《うち》へ帰ったのは、寒い日の暮方であった。薄暗い部屋へ入って、さっそく額《がく》を裸《はだか》にして、壁へ立て懸《か》けて、じっとその前へ坐《すわ》り込んでいると、洋灯《ランプ》を持って細君《さいくん》がやって来た。井深は細君に灯《ひ》を画の傍《そば》へ翳《かざ》さして、もう一遍《いっぺん》とっくりと八十銭の額を眺めた。総体に渋く黒ずんでいる中に、顔だけが黄《き》ばんで見える。これも時代のせいだろう。井深は坐ったまま細君を顧《かえり》みて、どうだと聞いた。細君は洋灯を翳した片手を少し上に上げて、しばらく物も言わずに黄ばんだ女の顔を眺めていたが、やがて、気味の悪い顔です事ねえと云った。井深はただ笑って、八十銭だよと答えたぎりである。
 飯を食ってから、踏台をして欄間《らんま》に釘《くぎ》を打って、買って来た額を頭
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