い切ったと見えて、行きましょうと答えた。それから、せんだっての金をこの者に渡してくれろという手紙を書いて、それに猿の懸物《かけもの》を添えて、長塚に持たせてやった。
長塚はあくる日また車でやって来た。来るや否や懐《ふところ》から手紙を出したから、受け取って見ると昨日《きのう》自分の書いたものである。まだ封が切らずにある。行かなかったのかと聞くと、長塚は額《ひたい》に八の字を寄せて、行ったんですけれども、とても駄目です、惨澹《さんたん》たるものです、汚《きた》ない所でしてね、妻君《さいくん》が刺繍《ぬい》をしていましてね、本人が病気でしてね、――金の事なんぞ云い出せる訳のものじゃないんだから、けっして御心配には及びませんと安心させて、掛物《かけもの》だけ帰して来ましたと云う。自分はへええ、そうかと少し驚ろいた。
翌《あく》る日《ひ》、青年から、どうも嘘言《うそ》を吐《つ》いてすまなかった、軸はたしかに受取ったと云う端書《はがき》が来た。自分はその端書を他の信書といっしょに重ねて、乱箱《みだればこ》の中に入れた。そうして、また青年の事を忘れるようになった。
そのうち冬が来た。例のごと
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