い顔をした男が荷車を引いてどこからか、やって来た。人を押し分けて巡査に何か小さな声で云っていたが、やがて、酔っ払いの方を向いて、さあ、野郎連れて行ってやるから、この上へ乗れと云った。酔払いは嬉《うれ》しそうな顔をして、ありがてえと云いながら荷車の上に、どさりと仰向《あおむ》けに寝た。明《あ》かるい空を見て、しょぼしょぼした眼を、二三度ぱちつかせたが、箆棒《べらぼう》め、こう見《め》えたって人間でえと云った。うん人間だ、人間だからおとなしくしているんだよと、背の高い男は藁《わら》の縄《なわ》で酔払いを荷車の上へしっかり縛《しば》りつけた。そうして屠《ほふ》られた豚のように、がらがらと大通りを引いて行った。御作さんはやっぱり廻套の羽根を捕まえたまま、注目飾《しめかざ》りの間を、向うへ押されて行く荷車の影を見送った。そうして、これから美いちゃんの所へ行って、美いちゃんに話す種が一つ殖《ふ》えたのを喜んだ。

     山鳥

 五六人寄って、火鉢《ひばち》を囲みながら話をしていると、突然一人の青年が来た。名も聞かず、会った事もない、全く未知の男である。紹介状も携《たずさ》えずに、取次を通じて
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