る。御作さんは、本当に、御忙がしいところを御気の毒さまでしたねえと、長い煙管《きせる》を出して髪結に煙草《たばこ》を呑《の》ました。
梳手《すきて》が来ないので、髪を結《ゆ》うのにだいぶ暇《ひま》が取れた。旦那は湯に入《い》って、髭《ひげ》を剃《す》って、やがて帰って来た。その間に、御作さんは、髪結に今日は美《み》いちゃんを誘って、旦那に有楽座へ連れて行って貰うんだと話した。髪結はおやおや私も御伴《おとも》をしたいもんだなどと、だいぶ冗談交《じょうだんまじ》りの御世辞を使った末、どうぞごゆっくりと帰って行った。
旦那は欝金木綿《うこんもめん》の風呂敷を、ちょっと剥《はぐ》って見て、これを着て行くのかい、これよりか、この間の方がお前には似合うよと云った。でも、あれは、もう暮に、美《み》いちゃんの所へ着て行ったんですものと御作さんが答えた。そうか、じゃこれが好いだろう。おれはあっちの綿入羽織《わたいればおり》を着て行こうか、少し寒いようだねと、旦那がまた云い出すと、およしなさいよ、見っともない、一つものばかり着てと、御作さんは絣《かすり》の綿入羽織を出さなかった。
やがて、御化粧が出
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