ながら覗《のぞ》き込んで見た。そうして、わざと唇《くちびる》を開けて、上下《うえした》とも奇麗《きれい》に揃《そろ》った白い歯を残らず露《あら》わした。すると時計が柱の上でボンボンと九時を打ち出した。御作さんは、すぐ立ち上って、間《あい》の襖《ふすま》を開けて、どうしたんですよ、あなたもう九時過ぎですよ。起きて下さらなくっちゃ、晩《おそ》くなるじゃありませんかと云った。御作さんの旦那《だんな》は九時を聞いて、今床の上に起き直ったところである。御作さんの顔を見るや否や、あいよと云いながら、気軽に立ち上がった。
 御作さんは、すぐ台所の方へ取って返して、楊枝《ようじ》と歯磨《はみがき》と石鹸《しゃぼん》と手拭《てぬぐい》を一《ひ》と纏《まと》めにして、さあ、早く行っていらっしゃい、と旦那に渡した。帰りにちょっと髯《ひげ》を剃《す》って来るよと、銘仙《めいせん》のどてら[#「どてら」に傍点]の下へ浴衣《ゆかた》を重ねた旦那は、沓脱《くつぬぎ》へ下りた。じゃ、ちょいと御待ちなさいと、御作さんはまた奥へ駆《か》け込んだ。その間に旦那は楊枝を使い出した。御作さんは用箪笥《ようだんす》の抽出《ひきだ
前へ 次へ
全123ページ中54ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング