なく通る。いずれも屋根に人を載せている。その馬車の色が赤であったり黄であったり、青や茶や紺《こん》であったり、仕切《しき》りなしに自分の横を追い越して向うへ行く。遠くの方を透《す》かして見ると、どこまで五色が続いているのか分らない。ふり返れば、五色の雲のように動いて来る。どこからどこへ人を載せて行くものかしらんと立ち止まって考えていると、後《うしろ》から背の高い人が追《お》い被《かぶ》さるように、肩のあたりを押した。避《よ》けようとする右にも背の高い人がいた。左りにもいた。肩を押した後の人は、そのまた後の人から肩を押されている。そうしてみんな黙っている。そうして自然のうちに前へ動いて行く。
 自分はこの時始めて、人の海に溺《おぼ》れた事を自覚した。この海はどこまで広がっているか分らない。しかし広い割には極めて静かな海である。ただ出る事ができない。右を向いても痞《つか》えている。左を見ても塞《ふさ》がっている。後をふり返ってもいっぱいである。それで静かに前の方へ動いて行く。ただ一筋の運命よりほかに、自分を支配するものがないかのごとく、幾万の黒い頭が申し合せたように歩調を揃《そろ》えて一歩
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