き出したように、ぼうっといつの間《ま》にやら薄明るくなって来た。始めは、ただ闇の段取《だんどり》が違うだけの事と思っていると、それがしだいしだいに暗がりを離れてくる。たしかに柔《やわら》かな光を受けておるなと意識できるぐらいになった時、自分は霧《きり》のような光線の奥に、不透明な色を見出《みいだ》す事ができた。その色は黄と紫《むらさき》と藍《あい》であった。やがて、そのうちの黄と紫が動き出した。自分は両眼の視神経を疲れるまで緊張して、この動くものを瞬《またた》きもせず凝視《みつめ》ていた。靄《もや》は眼の底からたちまち晴れ渡った。遠くの向うに、明かな日光の暖かに照り輝《かがや》く海を控《ひか》えて、黄《き》な上衣《うわぎ》を着た美しい男と、紫の袖《そで》を長く牽《ひ》いた美しい女が、青草の上に、判然《はっきり》あらわれて来た。女が橄欖《かんらん》の樹《き》の下に据《す》えてある大理石の長椅子に腰をかけた時に、男は椅子の横手に立って、上から女を見下《みおろ》した。その時南から吹く温かい風に誘われて、閑和《のどか》な楽《がく》の音《ね》が、細く長く、遠くの波の上を渡って来た。
 穴の上も、
前へ 次へ
全123ページ中49ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング