った事がある。慶応年間に生れたものだけで内閣を作るから慶応内閣と云うんだそうである。自分に、君はいつの生れかと聞くから慶応三年だと答えたら、それじゃ、閣員の資格があると笑っていた。K君はたしか慶応二年か元年生れだと覚えている。自分はもう一年の事で、K君と共に枢機《すうき》に参する権利を失うところであった。
こんな面白い話をしている間に、時々下の家族が噂《うわさ》に上《のぼ》る事があった。するとK君はいつでも眉《まゆ》をひそめて、首を振っていた。アグニスと云う小さい女が一番|可愛想《かわいそう》だと云っていた。アグニスは朝になると石炭をK君の部屋に持って来る。昼過には茶とバタと麺麭《パン》を持って来る。だまって持って来て、だまって置いて帰る。いつ見ても蒼褪《あおざ》めた顔をして、大きな潤《うるおい》のある眼でちょっと挨拶《あいさつ》をするだけである。影のようにあらわれては影のように下りて行く。かつて足音のした試しがない。
ある時自分は、不愉快だから、この家《うち》を出ようと思うとK君に告げた。K君は賛成して、自分はこうして調査のため方々飛び歩いている身体《からだ》だから、構わないが、
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