下宿
始めて下宿をしたのは北の高台である。赤煉瓦《あかれんが》の小じんまりした二階建が気に入ったので、割合に高い一週二|磅《ポンド》の宿料《しゅくりょう》を払って、裏の部屋を一間《ひとま》借り受けた。その時表を専領《せんりょう》しているK氏は目下|蘇格蘭《スコットランド》巡遊中で暫《しばら》くは帰らないのだと主婦の説明があった。
主婦と云うのは、眼の凹《くぼ》んだ、鼻のしゃくれた、顎《あご》と頬の尖《とが》った。鋭い顔の女で、ちょっと見ると、年恰好《としかっこう》の判断ができないほど、女性を超越している。疳《かん》、僻《ひが》み、意地、利《き》かぬ気、疑惑、あらゆる弱点が、穏かな眼鼻をさんざんに弄《もてあそ》んだ結果、こう拗《ひ》ねくれた人相になったのではあるまいかと自分は考えた。
主婦は北の国に似合わしからぬ黒い髪と黒い眸《ひとみ》をもっていた。けれども言語は普通の英吉利人《イギリスじん》と少しも違ったところがない。引き移った当日、階下《した》から茶の案内があったので、降りて行って見ると、家族は誰もいない。北向の小さい食堂に、自分は主婦とたった二人|差向《さしむか》いに
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