がぶりと横に食いついた。
 その時与吉の鼻の穴が震《ふる》えるように動いた。厚い唇《くちびる》が右の方に歪《ゆが》んだ。そうして、食いかいた柿の一片《いっぺん》をぺっと吐いた。そうして懸命の憎悪《ぞうお》を眸《ひとみ》の裏《うち》に萃《あつ》めて、渋《しぶ》いや、こんなものと云いながら、手に持った柿を、喜いちゃんに放《ほう》りつけた。柿は喜いちゃんの頭を通り越して裏の物置に当った。喜いちゃんは、やあい食辛抱《くいしんぼう》と云いながら、走《か》け出《だ》して家《うち》へ這入《はい》った。しばらくすると喜いちゃんの家で大きな笑声が聞えた。

     火鉢

 眼が覚《さ》めたら、昨夜《ゆうべ》抱《だ》いて寝た懐炉《かいろ》が腹の上で冷たくなっていた。硝子戸越《ガラスどごし》に、廂《ひさし》の外を眺めると、重い空が幅三尺ほど鉛《なまり》のように見えた。胃の痛みはだいぶ除《と》れたらしい。思い切って、床の上に起き上がると、予想よりも寒い。窓の下には昨日《きのう》の雪がそのままである。
 風呂場は氷でかちかち光っている。水道は凍《こお》り着《つ》いて、栓《せん》が利《き》かない。ようやくの事
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