。しばらくしてまたごとりと云った。自分はこの怪しい音を約四五遍聞いた。そうして、これは板敷の左にある、戸棚《とだな》の奥から出るに違ないという事をたしかめた。たちまち普通の歩調と、尋常の所作《しょさ》をして、妻の部屋へ帰って来た。鼠《ねずみ》が何か噛《かじ》っているんだ、安心しろと云うと、妻はそうですかとありがたそうな返事をした。それからは二人とも落ちついて寝てしまった。
 朝になってまた顔を洗って、茶の間へ来ると、妻が鼠の噛った鰹節《かつぶし》を、膳《ぜん》の前へ出して、昨夜《ゆうべ》のはこれですよと説明した。自分ははあなるほどと、一晩中|無惨《むざん》にやられた鰹節を眺めていた。すると妻は、あなたついでに鼠を追って、鰹節《おかか》をしまって下されば好いのにと少し不平がましく云った。自分もそうすれば好かったとこの時始めて気がついた。

     柿

 喜《き》いちゃんと云う子がいる。滑《なめ》らかな皮膚《ひふ》と、鮮《あざや》かな眸《ひとみ》を持っているが、頬《ほお》の色は発育の好い世間の子供のように冴々《さえざえ》していない。ちょっと見ると一面に黄色い心持ちがする。御母《おっか》
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