御正月を眼前に控《ひか》えた妻は異《い》な顔をしている。子供が三箇日《さんがにち》にも着物を着換える事ができないのだそうだ。仕方がない。
昼過には刑事が来た。座敷へ上《あが》っていろいろ見ている。桶《おけ》の中に蝋燭《ろうそく》でも立てて仕事をしやしないかと云って、台所の小桶《こおけ》まで検《しら》べていた。まあ御茶でもおあがんなさいと云って、日当りの好い茶の間へ坐らせて話をした。
泥棒はたいてい下谷、浅草|辺《あたり》から電車でやって来て、明くる日の朝また電車で帰るのだそうだ。たいていは捉《つか》まらないものだそうだ。捉まえると刑事の方が損になるものだそうだ。泥棒を電車に乗せると電車賃が損になる。裁判に出ると、弁当代が損になる。機密費《きみつひ》は警視庁が半分取ってしまうのだそうだ。余りを各警察へ割りふるのだそうだ。牛込には刑事がたった三四人しかいないのだそうだ――警察の力ならたいていの事はできる者と信じていた自分は、はなはだ心細い気がした。話をして聞かせる刑事も心細い顔をしていた。
出入《でいり》のものを呼んで戸締りを直そうと思ったら生憎《あやにく》、暮で用が立て込んでいて来
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