ったのですかと聞くから、いや、どうもあまり好くありませんと答えた。じゃ仕方がない、締《しま》りが悪いとどこからでも這入りますよ、一枚一枚雨戸へ釘《くぎ》を差さなくちゃいけませんと注意する。自分ははあはあと返事をしておいた。この巡査に遇《あ》ってから、悪いものは、泥棒じゃなくって、不取締《ふとりしまり》な主人であるような心持になった。
 巡査は台所へ廻った。そこで妻《さい》を捉《つら》まえて、紛失《ふんじつ》した物を手帳に書き付けている。繻珍《しゅちん》の丸帯が一本ですね、――丸帯と云うのは何ですか、丸帯と書いておけば解るですか、そう、それでは繻珍の丸帯が一本と、それから……
 下女がにやにや笑っている。この巡査は丸帯も腹合《はらあわ》せもいっこう知らない。すこぶる単簡《たんかん》な面白い巡査である。やがて紛失の目録を十点ばかり書き上げてその下に価格を記入して、すると|〆《しめ》て百五十円になりますねと念を押して帰って行った。
 自分はこの時始めて、何を窃《と》られたかを明瞭《めいりょう》に知った。失《な》くなったものは十点、ことごとく帯である。昨夜《ゆうべ》這入ったのは帯泥棒であった。
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