つかない事をたびたび質問された。かと思うと、突然えらい問題を提出して急に同輩扱《どうはいあつかい》に飛び移る事がある。いつか自分の前でワトソンの詩を読んで、これはシェレーに似た所があると云う人と、全く違っていると云う人とあるが、君はどう思うと聞かれた。どう思うたって、自分には西洋の詩が、まず眼に訴えて、しかる後《のち》耳を通過しなければまるで分らないのである。そこで好い加減な挨拶《あいさつ》をした。シェレーに似ている方だったか、似ていない方だったか、今では忘れてしまった。がおかしい事に、先生はその時例の膝を叩《たた》いて僕もそう思うと云われたので、大いに恐縮した。
 ある時窓から首を出して、遥《はる》かの下界を忙《いそが》しそうに通る人を見下《みおろ》しながら、君あんなに人間が通るが、あの内で詩の分るものは百人に一人もいない、可愛相《かわいそう》なものだ。いったい英吉利人《イギリスじん》は詩を解する事のできない国民でね。そこへ行くと愛蘭土人《アイヤランドじん》はえらいものだ。はるかに高尚だ。――実際詩を味《あじわ》う事のできる君だの僕だのは幸福と云わなければならない。と云われた。自分を
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