ある。髯《ひげ》などはまことに御気の毒なくらい黒白乱生《こくびゃくらんせい》していた。いつかベーカーストリートで先生に出合った時には、鞭《むち》を忘れた御者《カブマン》かと思った。
 先生の白襯衣《しろシャツ》や白襟《しろえり》を着けたのはいまだかつて見た事がない。いつでも縞《しま》のフラネルをきて、むくむくした上靴《うわぐつ》を足に穿《は》いて、その足を煖炉《ストーブ》の中へ突き込むくらいに出して、そうして時々短い膝を敲《たた》いて――その時始めて気がついたのだが、先生は消極的の手に金の指輪を嵌《は》めていた。――時には敲《たた》く代りに股《もも》を擦《こす》って、教えてくれる。もっとも何を教えてくれるのか分らない。聞いていると、先生の好きな所へ連れて行って、けっして帰してくれない。そうしてその好きな所が、時候の変り目や、天気都合でいろいろに変化する。時によると昨日《きのう》と今日《きょう》で両極へ引越しをする事さえある。わるく云えば、まあ出鱈目《でたらめ》で、よく評すると文学上の座談をしてくれるのだが、今になって考えて見ると、一回七志ぐらいで纏《まとま》った規則正しい講義などのでき
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