に先生から催促を受ける事があった。君、少し金が入《い》るから払って行ってくれんかなどと云われる。自分は洋袴《ズボン》の隠《かく》しから金貨を出して、むき出しにへえと云って渡すと、先生はやあすまんと受取りながら、例の消極的な手を拡《ひろ》げて、ちょっと掌《てのひら》の上で眺めたまま、やがてこれを洋袴の隠しへ収められる。困る事には先生けっして釣を渡さない。余分を来月へ繰《く》り越《こ》そうとすると、次の週にまた、ちょっと書物を買いたいからなどと催促される事がある。
 先生は愛蘭土《アイヤランド》の人で言葉がすこぶる分らない。少し焦《せ》きこんで来ると、東京者が薩摩《さつま》人と喧嘩《けんか》をした時くらいにむずかしくなる。それで大変そそっかしい非常な焦きこみ屋なんだから、自分は事が面倒になると、運を天に任せて先生の顔だけ見ていた。
 その顔がまたけっして尋常じゃない。西洋人だから鼻は高いけれども、段があって、肉が厚過ぎる。そこは自分に善《よ》く似ているのだが、こんな鼻は一見したところがすっきりした好い感じは起らないものである。その代りそこいら中《じゅう》むしゃくしゃしていて、何となく野趣が
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