は五十くらいだから、ずいぶん久しい間世の中を見て暮したはずだが、やっぱりまだ驚いている。戸を敲《たた》くのが気の毒なくらい大きな眼をしていらっしゃいと云う。
 這入《はい》ると女はすぐ消えてしまう。そうして取附《とっつき》の客間――始めは客間とも思わなかった。別段装飾も何もない。窓が二つあって、書物がたくさん並んでいるだけである。クレイグ先生はたいていそこに陣取っている。自分の這入《はい》って来るのを見ると、やあと云って手を出す。握手をしろという相図だから、手を握る事は握るが、向《むこう》ではかつて握り返した事がない。こっちもあまり握り心地が好い訳でもないから、いっそ廃《よ》したらよかろうと思うのに、やっぱりやあと云って毛だらけな皺《しわ》だらけな、そうして例によって消極的な手を出す。習慣は不思議なものである。
 この手の所有者は自分の質問を受けてくれる先生である。始めて逢《あ》った時報酬はと聞いたら、そうさな、とちょっと窓の外を見て、一回七|志《シルリング》じゃどうだろう。多過ぎればもっと負けても好いと云われた。それで自分は一回七志の割で月末に全額を払う事にしていたが、時によると不意
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