分のために作り上げられた顔である。百年の昔からここに立って、眼も鼻も口もひとしく自分を待っていた顔である。百年の後《のち》まで自分を従えてどこまでも行く顔である。黙って物を云う顔である。女は黙って後《うしろ》を向いた。追いついて見ると、小路と思ったのは露次《ろじ》で、不断《ふだん》の自分なら躊躇《ちゅうちょ》するくらいに細くて薄暗い。けれども女は黙ってその中へ這入《はい》って行く。黙っている。けれども自分に後を跟《つ》けて来いと云う。自分は身を穿《すぼ》めるようにして、露次の中に這入った。
黒い暖簾《のれん》がふわふわしている。白い字が染抜いてある。その次には頭を掠《かす》めるくらいに軒灯が出ていた。真中に三階松《さんがいまつ》が書いて下に本《もと》とあった。その次には硝子《ガラス》の箱に軽焼《かるやき》の霰《あられ》が詰っていた。その次には軒の下に、更紗《さらさ》の小片《こぎれ》を五つ六つ四角な枠《わく》の中に並べたのが懸《か》けてあった。それから香水の瓶《びん》が見えた。すると露次は真黒な土蔵の壁で行き留った。女は二尺ほど前にいた。と思うと、急に自分の方をふり返った。そうして急に
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