またからからと笑う。女の頬には乳色の底から捕えがたき笑の渦《うず》が浮き上って、瞼《まぶた》にはさっと薄き紅《くれない》を溶《と》く。
「縫えばどんな色で」と髯あるは真面目《まじめ》にきく。
「絹買えば白き絹、糸買えば銀の糸、金の糸、消えなんとする虹《にじ》の糸、夜と昼との界《さかい》なる夕暮の糸、恋の色、恨《うら》みの色は無論ありましょ」と女は眼をあげて床柱《とこばしら》の方を見る。愁《うれい》を溶《と》いて錬《ね》り上げし珠《たま》の、烈《はげ》しき火には堪《た》えぬほどに涼しい。愁の色は昔《むか》しから黒である。
 隣へ通う路次《ろじ》を境に植え付けたる四五本の檜《ひのき》に雲を呼んで、今やんだ五月雨《さみだれ》がまたふり出す。丸顔の人はいつか布団《ふとん》を捨てて椽《えん》より両足をぶら下げている。「あの木立《こだち》は枝を卸《おろ》した事がないと見える。梅雨《つゆ》もだいぶ続いた。よう飽きもせずに降るの」と独《ひと》り言《ごと》のように言いながら、ふと思い出した体《てい》にて、吾《わ》が膝頭《ひざがしら》を丁々《ちょうちょう》と平手をたてに切って敲《たた》く。「脚気《かっけ》
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