たくわ》えぬ丸顔を傾けて「描けども、描けども、夢なれば、描けども、成りがたし」と高らかに誦《じゅ》し了《おわ》って、からからと笑いながら、室《へや》の中なる女を顧《かえり》みる。
竹籠《たけかご》に熱き光りを避けて、微《かす》かにともすランプを隔てて、右手に違い棚、前は緑り深き庭に向えるが女である。
「画家ならば絵にもしましょ。女ならば絹を枠《わく》に張って、縫いにとりましょ」と云いながら、白地の浴衣《ゆかた》に片足をそと崩《くず》せば、小豆皮《あずきがわ》の座布団《ざぶとん》を白き甲が滑《すべ》り落ちて、なまめかしからぬほどは艶《えん》なる居ずまいとなる。
「美しき多くの人の、美しき多くの夢を……」と膝《ひざ》抱《いだ》く男が再び吟じ出すあとにつけて「縫いにやとらん。縫いとらば誰に贈らん。贈らん誰に」と女は態《わざ》とらしからぬ様《さま》ながらちょと笑う。やがて朱塗の団扇《うちわ》の柄《え》にて、乱れかかる頬《ほお》の黒髪をうるさしとばかり払えば、柄《え》の先につけたる紫のふさが波を打って、緑り濃き香油の薫《かお》りの中に躍《おど》り入る。
「我に贈れ」と髯なき人が、すぐ言い添えて
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