》にふかしている。
 五月雨《さみだれ》に四尺伸びたる女竹《めだけ》の、手水鉢《ちょうずばち》の上に蔽《おお》い重なりて、余れる一二本は高く軒に逼《せま》れば、風誘うたびに戸袋をすって椽《えん》の上にもはらはらと所|択《えら》ばず緑りを滴《したた》らす。「あすこに画がある」と葉巻の煙をぷっとそなたへ吹きやる。
 床柱《とこばしら》に懸《か》けたる払子《ほっす》の先には焚《た》き残る香《こう》の煙りが染《し》み込んで、軸は若冲《じゃくちゅう》の蘆雁《ろがん》と見える。雁《かり》の数は七十三羽、蘆《あし》は固《もと》より数えがたい。籠《かご》ランプの灯《ひ》を浅く受けて、深さ三尺の床《とこ》なれば、古き画のそれと見分けのつかぬところに、あからさまならぬ趣《おもむき》がある。「ここにも画が出来る」と柱に靠《よ》れる人が振り向きながら眺《なが》める。
 女は洗えるままの黒髪を肩に流して、丸張りの絹団扇《きぬうちわ》を軽《かろ》く揺《ゆる》がせば、折々は鬢《びん》のあたりに、そよと乱るる雲の影、収まれば淡き眉《まゆ》の常よりもなお晴れやかに見える。桜の花を砕いて織り込める頬の色に、春の夜の星を宿
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