かささやき合えるようであったが、このたびは女の方へは向わず、古伊万里《こいまり》の菓子皿を端《はじ》まで同行して、ここで右と左へ分れる。三人の眼は期せずして二疋の蟻の上に落つる。髯なき男がやがて云う。
「八畳の座敷があって、三人の客が坐わる。一人の女の膝へ一疋の蟻が上る。一疋の蟻が上った美人の手は……」
「白い、蟻は黒い」と髯がつける。三人が斉《ひと》しく笑う。一疋の蟻は灰吹《はいふき》を上りつめて絶頂で何か思案している。残るは運よく菓子器の中で葛餅《くずもち》に邂逅《かいこう》して嬉しさの余りか、まごまごしている気合《けわい》だ。
「その画《え》にかいた美人が?」と女がまた話を戻す。
「波さえ音もなき朧月夜《おぼろづきよ》に、ふと影がさしたと思えばいつの間《ま》にか動き出す。長く連《つら》なる廻廊を飛ぶにもあらず、踏むにもあらず、ただ影のままにて動く」
「顔は」と髯なしが尋ねる時、再び東隣りの合奏が聞え出す。一曲は疾《と》くにやんで新たなる一曲を始めたと見える。あまり旨《うま》くはない。
「蜜を含んで針を吹く」と一人が評すると
「ビステキの化石を食わせるぞ」と一人が云う。
「造り花な
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