》りと云う。最初から見物人と思っているらしい。婆さんはやがて名簿のようなものを出して御名前をと云う。余は倫敦滞留中四たびこの家に入り四たびこの名簿に余が名を記録した覚えがある。この時は実に余の名の記入《きにゅう》初《はじめ》であった。なるべく丁寧に書くつもりであったが例に因《よ》ってはなはだ見苦しい字が出来上った。前の方を繰りひろげて見ると日本人の姓名は一人もない。して見ると日本人でここへ来たのは余が始めてだなと下らぬ事が嬉しく感ぜられる。婆さんがこちらへと云うから左手の戸をあけて町に向いた部屋に這入る。これは昔し客間であったそうだ。色々なものが並べてある。壁に画《え》やら写真やらがある。大概はカーライル夫婦の肖像のようだ。後《うし》ろの部屋にカーライルの意匠に成ったという書棚がある。それに書物が沢山詰まっている。むずかしい本がある。下らぬ本がある。古びた本がある。読めそうもない本がある。そのほかにカーライルの八十の誕生日の記念のために鋳《い》たという銀牌《ぎんぱい》と銅牌《どうはい》がある。金牌《きんぱい》は一つもなかったようだ。すべての牌《はい》と名のつくものがむやみにかちかちして
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