る下界の声が呪《のろい》のごとく彼を追いかけて旧のごとくに彼の神経を苦しめた。
声。英国においてカーライルを苦しめたる声は独逸《ドイツ》においてショペンハウアを苦しめたる声である。ショペンハウア云う。「カントは活力論を著《あらわ》せり、余は反《かえ》って活力を弔《とむら》う文を草せんとす。物を打つ音、物を敲《たた》く音、物の転《ころ》がる音は皆活力の濫用にして余はこれがために日々苦痛を受くればなり。音響を聞きて何らの感をも起さざる多数の人|我説《わがせつ》をきかば笑うべし。されど世に理窟《りくつ》をも感ぜず思想をも感ぜず詩歌《しいか》をも感ぜず美術をも感ぜざるものあらば、そは正にこの輩《やから》なる事を忘るるなかれ。彼らの頭脳の組織は麁※[#「けものへん+廣」、第4水準2−80−55]《そこう》にして覚《さと》り鈍き事その源因たるは疑うべからず」カーライルとショペンハウアとは実は十九世紀の好一対《こういっつい》である。余がかくのごとく回想しつつあった時に例の婆さんがどうです下りましょうかと促《うな》がす。
一層を下《くだ》るごとに下界に近づくような心持ちがする。冥想《めいそう》の皮
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