で起らないのである。丁度|葉裏《はうら》に隠れる虫が、鳥の眼を晦《くら》ますために青くなると一般で、虫自身はたとい青くなろうとも赤くなろうとも、そんな事に頓着《とんじゃく》すべき所以《いわれ》がない。こう変色するのが当り前だと心得ているのは無論である。ただ不思議がるのは当の虫ではなくて、虫の研究者である、動物学者である。
マードック先生のわれら日本人に対する態度はあたかも動物学者が突然青く変化した虫に対すると同様の驚嘆《きょうたん》である。維新前は殆んど欧洲の十四世紀頃のカルチュアーにしか達しなかった国民が、急に過去五十年間において、二十世紀の西洋と比較すべき程度に発展したのを不思議がるのである。僅か五隻のペリー艦隊の前に為《な》す術《すべ》を知らなかったわれらが、日本海の海戦でトラファルガー以来の勝利を得たのに心を躍らすのである。
下
先生はこの驚嘆の念より出立《しゅったつ》して、好奇心に移り、それからまた研究心に落ち付いて、この大部《たいぶ》の著作を公けにするに至ったらしい。だから日本歴史全部のうちで尤《もっと》も先生の心を刺戟したものは、日本人がどうして西洋
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