はあるといわれるかも知れないが、自分が如何にしてこんな人間に出来上ったかという径路《けいろ》や因果や変化については、善悪にかかわらず不思議を挟《さしはさ》む余地がちっともない。ただかくの如く生れ、かくの如く成長し、かくの如き社会の感化を受けて、かくの如き人間に片付いたまでと自覚するだけで、その自覚以上に何らの驚ろくべき点がないから、従って何らの好奇心も起らない、従って何らの研究心も生じない。かかる理の当然一片の判断が自己を支配する如くに、同じく当り前さという観念が、やはり自己の生息する明治の歴史にも付け纏《まと》っている。海軍が進歩した、陸軍が強大になった、工業が発達した、学問が隆盛になったとは思うが、それを認めると等しく、しかあるべきはずだと考えるだけで、未《いま》だかつて「如何にして」とか「何故に」とか不審を打った試《ため》しがない。必竟《ひっきょう》われらは一種の潮流の中に生息しているので、その潮流に押し流されている自覚はありながら、こう流されるのが本当だと、筋肉も神経も脳髄も、凡《すべ》てが矛盾なく一致して、承知するから、妙だとか変だとかいう疑《うたがい》の起る余地が天《てん》
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