たら。――少し寄り道《みち》をしてゐたものだから」
と独り言《ごと》の様に説明を加へた。
「そんなに急《いそ》ぐんですか」
「えゝ、成《な》り丈《たけ》早く帰りたいの」
 代助は頭《あたま》から手《て》を放《はな》して、烟草《たばこ》の灰をはたき落した。
「三年《さんねん》のうちに大分《だいぶ》世帯染《しよたいじみ》ちまつた。仕方《しかた》がない」
 代助は笑つて斯う云つた。けれども其調子には何処《どこ》かに苦《にが》い所があつた。
「あら、だつて、明日《あした》引越《ひつこ》すんぢやありませんか」
 三千代《みちよ》の声は、此時《このとき》急に生々《いき/\》と聞《きこ》えた。代助は引越《ひつこし》の事を丸で忘れてゐた。
「ぢや引越《ひつこ》してから緩《ゆつ》くり来《く》れば可《い》いのに」
 代助は相手の快《こゝろ》よささうな調子に釣り込まれて、此方《こつち》からも他愛《たあい》なく追窮した。
「でも」と云つた、三千代は少し挨拶に困つた色を、額《ひたひ》の所へあらはして、一寸《ちょつと》下《した》を見たが、やがて頬《ほゝ》を上《あ》げた。それが薄赤く染《そ》まつて居た。
「実《じつ
前へ 次へ
全490ページ中83ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング