若い時分、撃剣の同門の何とかといふ男が、あまり技芸に達してゐた所から、他《ひと》の嫉妬《ねたみ》を受けて、ある夜縄手|道《みち》を城下へ帰る途中で、誰《だれ》かに斬り殺された。其時第一に馳け付《つ》けたものは祖父《ぢゞ》であつた。左の手に提灯を翳《かざ》して、右の手に抜身《ぬきみ》を持つて、其|抜身《ぬきみ》で死骸《しがい》を叩きながら、軍平《ぐんぺい》確《しつ》かりしろ、創《きづ》は浅《あさ》いぞと云つたさうである。
 伯父《おぢ》が京都で殺された時は、頭巾を着た人間にどや/\と、旅宿《やどや》に踏み込まれて、伯父は二階の廂《ひさし》から飛び下《お》りる途端、庭石に爪付《つまづ》いて倒れる所を上《うへ》から、容赦なく遣《や》られた為に、顔が膾《なます》の様になつたさうである。殺される十日|程《ほど》前、夜中《やちう》、合羽《かつぱ》を着《き》て、傘《かさ》に雪を除《よ》けながら、足駄《あしだ》がけで、四条から三条へ帰つた事がある。其時|旅宿《やど》の二丁程手前で、突然《とつぜん》後《うしろ》から長井|直記《なほき》どのと呼び懸けられた。伯父《おぢ》は振り向きもせず、矢張り傘《かさ》を
前へ 次へ
全490ページ中68ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング